歩道の街路樹が左右に大きく揺れており、向かいの小学校のグラウンドで児童が「キャ〜!」と大声をあげて叫んでいる。
「強風が吹いているのかな・・・」ぐらいに考えていると、身体が左右にふらついて真っ直ぐ歩けない。前方を歩いている人が手すりにもたれかかって「地震だ!」。ようやく事態が飲み込めた。
「震度5強」あったと後で知った。
職場の半数の人は夕方には帰宅したが、私は業務都合で動けない。
20時過ぎ「帰宅可能な人は帰宅してよい」との連絡を受けた。歩いて自宅まで帰ろうとも考えるもこの日はお腹を壊し気味で、冷たい風が吹く中 3時間歩いて帰る決断ができなかったため、会社で待機する道を選んだ。
都内に勤務する妻の無事も確認できた。17時前にはタクシーを拾い、職場の人達と乗り合いで埼玉方面へ向かったという。しかし、その後 22時を過ぎても帰宅した連絡がないので心配していると、「渋滞でまだ都内を脱出できていない。」という。
午前2時前、タクシーに乗った妻から「そっち(私の職場)に寄る」との連絡。職場前から拾ってもらい、自宅へ。妻はこの時点で、8時間近くタクシーに乗っている。
午前3時前帰宅。TVで東北地方の映像を見て絶句した。
翌土曜日は、tac-phen さん、こっさんさんと1年ぶりの再開を果たすことになっていた。tac-phen さんは数日かけてあちこち立ち寄りながら金曜日に東京入りされる予定、こっさんさん夫妻は土曜日早朝に、新幹線で駆けつけてくださる予定だった。携帯と職場の電話でそれぞれ連絡・協議した結果、今回はやむを得ず中止とした。
東北地方の沿岸地域の方々に比べれば、住んでいる地域は軽微な被害にとどまっている。とはいえ、コンビニの食料がほとんど無くなった棚や、日用品を買い込む人達の姿を見ると「震災」を実感する。
亡くなられた方々のご冥福と、行方不明になっている方々のご無事を心からお祈りしつつ、今自分に何ができるのかずっと考えている。